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宮古の歴史 明治 〜
大正 |
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西 暦 |
和 暦 |
事 項 |
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1871 |
明治 4 |
○宮古島年頁船、台湾に漂着。(3人溺死、54人は殺害され、12人が生還) |
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1872 |
明治 5 |
○琉球藩となる。 |
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1873 |
明治 6 |
○ドイツ商船ロベルトソン号、宮国村沖で座礁、乗組員8人を救助。 |
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1874 |
明治 7 |
○西里村より福里村新設。 池間村より西原村新設。 |
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1876 |
明治 9 |
○ドイツ皇帝、軍艦を派遣しドイツ国民救済感謝碑を建てる。(博愛記念碑) |
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1879 |
明治 12 |
○沖縄に廃藩置県を公告。沖縄県となる。
○旧藩在番廃止、県在番配置。
○分島問題(先島を清国へ割譲する案)
○サンシー事件。(下地仁屋利社斬殺される) |
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1880 |
明治 13 |
○宮古島役所開設。(蔵元内に) |
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1882 |
明治 15 |
○平良小学校創立。(南北両校合併) |
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1887 |
明治 20 |
○人頭税廃止運動起こる。 |
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1888 |
明治 21 |
○甘庶作認可される。砂糖きび作付制限を撤廃。 |
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1896 |
明治 29 |
○「郡区編制の件」公布、宮古郡となる。島役所を島庁と改め、役所長を島司と改称。 |
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1897 |
明治 30 |
○蔵元を閉鎖し、三間切を一郡一間切とする。(宮古郡、平良間切) |
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1899 |
明治 32 |
○土地整理はじまる。(明治36年終了) |
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1902 |
明治 35 |
○宮古郡繊物組合設立。 |
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1903 |
明治 36 |
○先島に徴兵令実施。(沖縄本島は明治31年から実施)
○先島に地租条例、国税徴収法適用。人頭税は撤廃される。
○旧来の地割制を廃して、土地の私有制へ移行する。
○農民、負債整理のため土地を売却しはじめる。 |
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1905 |
明治 38 |
○久松五勇士、「バルチック艦隊見ゆ」を通報。 |
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1906 |
明治 39 |
○宮古・八重山両郡民の選挙権獲得運動起こる。 |
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1908 |
明治 41 |
○島しょ町村制実施。
間切(マギリ)を町村に、村を字に改める。
宮古は四ケ村となる。(平良村、城辺村、下地村、伊良部村) |
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1913 |
大正 2 |
○海底電信開通。
○多良間、平良村より分村。(字仲筋・字塩川・字水納、平良村より分離し、多良間村となる) |
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1915 |
大正 4 |
○宮古において慶世村恒任による初の新聞できる。 |
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1917 |
大正 6 |
○宮古電灯株式会社設立。 |
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1919 |
大正 8 |
○衆議院選挙法、先島に適用。(沖縄本島に遅れること7年)
○コレラ伝染、患者2,000人、死者900余人。 |
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1920 |
大正 9 |
○特別府県制、特別町村制廃止。はじめて本土並み自治体となる。
○第一回国勢調査、宮古の人口5万3千人余。 |
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1921 |
大正 10 |
○台南製糖宮古工場建設。(現沖縄製糖) |
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1924 |
大正 13 |
○平良村、町に昇格。 |
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1925 |
大正 14 |
○宮古神社建立 |
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1926 |
大正 15 |
○島庁を支庁に改める。島司を支庁長と改称。 |