* “パニパニ”とは宮古島の方言で「元気いっぱい!」という意味なのだ   

2004 .2/15 


「まっちー石垣島へ行く〜八重山・織物留学1ヶ月〜」

 今回は番外編・宮古島を離れ、石垣島へ織物の勉強をしに行ってきた時の事をお伝えします。
私は美術大学で染色を専攻した事もあって、常々沖縄の染物・織物に興味を抱いていました。
また、大学卒業後は販売の仕事をずっとしていた事もあり、宮古島に住んだら今度は物を売るのではなくて物を作る仕事がしたいなあ〜と漠然と考えていました。

なので地元の新聞に載っていた “宮古上布・職人養成” というものに応募してみました。伝統工芸の世界は後継者不足に悩んでいる・・・なんて事は良く聞く話だし、よし!ここは私が数年修行して・・・ などと勝手に覚悟まで決めていたのですが・・・ところがところが!実際履歴書を持って行くと、
「あんたはナイチャ〜ねえ〜」
「島の人が優先だからねえ」
と、いきなりの先制パンチ!

おおっと!でも私こちらに住んでますしやる気あります、などと言いつつ少し話を聞いてみると・・・
後継者不足が深刻だった数年前は割りとナイチャーにも広く門戸を開放してウェルカムの時代もあったようなのですが、辛い修行に耐えられず途中でやめてしまったり、ようやく技術を覚え始めた頃に内地に帰ってしまったり、はたまたカルチャースクールのような軽いお稽古事気分で通う人有り・・・と厳しい状況だったようです。
その結果 “長く続けて技術を受け継いで欲しい”= “宮古人” という図式が出来上がってしまっているようでした。

しばらく食い下がってみたものの、あまりにも “おととい来い!” 的な態度に断念。
フン!宮古嫁になって出直してやる〜!!と悔しい思いをしていたのでした。

そんな時、八重山に織物を教えてくれる知り合いがいるよ〜とのありがたいお話が舞い込んできたのです。
「行く!絶対に!」
早速石垣で当面暮らせるだけの荷物をまとめ、いざ!カーフェリーで石垣島へ。
まだ真っ暗な明け方に、取り立ての免許で苦手なバックで船に1人で車を入れたとき、私強くなったなあ〜としみじみ思った瞬間でもありました。船のデッキ上で海から上がる日の出に感動。今日から頑張るぞ!と決意したのでした。

八重山の織物は、国指定伝統工芸織物 “みんさ〜織り” というものがあります。みんさ〜織りは、八重山の島々で代々織り継がれてきた木綿帯で、主に男性用として織られてきました。
みんさ〜織り独特のかすり柄は、『いつ(五つ)の世(四)までも末永く仲良くー』という意味を込めて、女性の愛のしるしとして自分で織り上げた帯を婚約者に贈る習慣があったそうです。

また両端のムカデ足のような柄は、当時通い婚の習慣があった八重山で “足繁く私の元に通って来てください” との思いが込められているそうです。う〜ん、ロマンチック!!


これが “みんさ〜織り”
絣柄が五つ、と四つありますね


藍色に染まった美しい糸

 そして、忙しい中時間を割いて私に1からみんさ〜織りを教えてくれた “玉城のお母さん”
知人に紹介して頂いた、玉城のお母さん=玉城幸子さんは、自宅の1階に “綾織” という工房を持ち、地元の人から祭りに使う帯の注文を受けたり、土産物屋に卸す、コースターや携帯ストラップ作りに日々忙しくしています。
1ヶ月間玉城のお母さんの元に通って、お母さんの娘さんゆきえちゃんと毎日3人で並んでカタンカタンと織りのリズムを刻んだのでした。

糸の紡ぎ、染色の段階は全てお母さん任せでしたが、豊かな自然に恵まれた八重山には多くの植物染料がありその樹皮や実・花・葉などを利用して自然な色を染め上げていました。藍や福木、山桃など。

そして本当に大変なのが、縦糸張り。細かく分けたら数十もの段階を踏んで張られていく縦糸。
まず、製経機でデザインに長さを合わせ糸くりをしていきます。
次に1本ずつ糸を割り、仮筬→仮筬通し。そしてひろ〜いスペースで糸の巻き取りを行い、ここで初めて製経機でデザインされた糸と絣の糸を合わせていきます。


製経機
デザインに合わせて巻いていきます


1本づつ糸を割る作業
  


巻き取り作業


絣と糸を合わせます

製経→筬通し→綜こう通しを経て初めて織り機にのせられます。ここまではお母さんの言われるままに・・・
とても1人で縦糸を張る事は出来なかった。大手の工房に行くと、職人の織り子さんでさえ横糸を織る作業のみに追われ縦糸の張り方を忘れてしまい、自分で縦糸を張れない織り子さんも多いと聞きました。なので、分からないなりにも縦糸を張る作業を一緒にやらせてもらえた、というのは私にとってとてもとても嬉しい事でした。
縦糸が張れたらいよいよ、織り開始。カタンカタン!リズム良く交互に足を踏み替え、織ひをくぐらせ織り進めていきます。

宮古上布が芋麻と呼ばれる細い麻織物に対して、みんさ〜は綿織物なので丈夫な感じ、安心してザクザク織っていける。“いつ(五つ)の世(四)” 絣が現れるのも励みになってどんどん楽しく織れた。まず私は赤いテーブルセンターを織り始めたのだけど、横糸を真っ赤からピンク、黄色、白などいろいろ変えてみて横糸によって変わる色彩の変化を楽しみました。

最初、真紅の糸がナイチャーの私にはドギツク感じていろいろ横糸の色を変えて織って見たのですが、結論はやっぱりみんさーは真紅がきれい!という事。
繊細な色目もいいけれど、やっぱり沖縄のギンギラギンに照りつけるお日様の色。燃えるハイビスカスの色。気候や風土に合った情熱の色なんだな、と織って見て妙に納得してしまいました。


綜こう通し


やっと柄がみえてきた

 私が根を詰め始めると、見計らってお母さんが
「休憩しよう」
と声を掛けてくれて、いろんな話をしてくれました。
毎日いろんな話をするうちに、お母さんや、ゆきえちゃん、玉城家の家族たち、小学生からおじいちゃんまでみんなの事が大好きになりました。

そしてみんさー帯の由来を聞いているうちにどうしても帯が織りたくなってきた私は情熱色のテーブルセンターが織り上がった頃
「お母さん、私も未来の彼氏の為に帯を織りたい!」
と思い切って打ち明けてみました。そして、卒業制作と称してラスト1週間でみんさー帯を心を込めて織り上げました。
打ちつけが弱くてお母さんのと比べると絣の出方がぼやけていたけど、大満足!


思いを込めて


  
卒業制作
いつの(五つ)の世(四)までの帯

 こうして1ヶ月の織物留学も終わりを迎えました。
最終日、大手織物センターに立ち寄りお土産として商品化されたみんさ〜帯を見てびっくり!
何と1本¥12,000 とか¥20,000 とかするではありませんか!!糸の量はそんなに使っていないのに他の商品と比べて帯だけ高いのは何故??

お店の人に尋ねてみると、やっぱり “みんさー織り=帯” で帯がみんさー織りの代名詞になる。だから帯は検品も厳しいし、商品にならなかった時のリスクを考えると上級者の織り子さんしか織りたがらないそう。
よって、価格も必然的に高いそう。そんなものを素人の私に快く織らせてくれたお母さん・・・本当にありがとう!感謝の思いでいっぱいです。


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