ぼくは、波打ち際を歩くのが好きだ。
波に洗われたばかりの砂浜は、太陽光線を浴びキラキラと輝いている。イミテーションのアクセサリーなんかより、ずっと美しい。誰の足跡もない砂浜を歩く心地よさは、おろしたてのタオルで顔を覆ったときのあの爽快感に似ている。


『息を呑む長間浜』

 それだけではない。
 砂は、水を含みしっとりとした軟らかさと、ギッシリとつまった硬さも併せもっている。軟らかさは、まさに低反発まくらのようだし、硬さは、ぬくもりのある木板に似ている。
完全に乾いた砂は、パウダーのように軽く、目をこらさないと分別つかないほど、きめが細かい。目隠しされていたら、口に入れるまで砂糖と思って疑わない。

 前浜、砂山ビーチ、長間浜どこも1mmをはるかに下回るきめの細かさだけど、伊良部島の渡口ノ浜が一番気持ちいい。(「気持ち良い」という表現が、ぼくの最上級の誉め言葉だ。)

 足先に五感を集中させ、時間を忘れるほど感触を楽しむ。幼い頃、砂場で夢中になっていた記憶がかすかによみがってくる。たまに勢いよく押し寄せてくる波は、海の息づかいを感じさせ、足先をさらに敏感にする。

 そして砂の色。遠くから見ると真っ白だが、近くで見ると大部分は象牙色のような優しい白だ。じっと見ていると、赤や黄色、青などの粒も発見できるし、少し粒が大きいところを探せば、ホシノスナやタイヨウノスナも見つかる。

 砂浜は、サンゴや貝などの骨格でできている。彼らは生きている時、様々な色や形をしているが、波にもまれ、照りつける太陽や風雨にさらされ、また微生物に分解されることにより、徐々に原型・原色を失って、ついには白い砂浜になっていく。
海の生き物と砂浜の密接なつながりに人間の入り込めない神聖さを感じる。白い砂浜は無数の命の結晶なのだ。この宮古島自体も何万年に及ぶ生き物の営みの末、出来上がった島だ。

 砂浜を歩く気持ちよさを感じながら、1mmにも満たない砂粒に生き物たちの歴史を感じたい。

『東京から来たゆきおくん』渡口の浜にて